なぜ“騎乗位”は女優の見せ場とされるのか?
AVにおいて「騎乗位」は、決まって女優の“見せ場”とされます。
腰をくねらせる、美しく動く、カメラの前で快感を表現する——。
でも、よく考えてみてほしい。
“主導権がある体位”のはずなのに、なぜこんなにも「見せること」に集中しているのか?
“騎乗位=主導権”は本当か?
一般的に、騎乗位は「女性が主導権を握れる体位」と言われています。
しかしAVではその役割が「男にイカせる」ことではなく、「視聴者に魅せる」ことにすり替えられている。
つまり、女優に求められているのは快感の追求ではなく、パフォーマンスの美しさなのです。
腰の動かし方、喘ぎ声、表情、乳房の揺れ。どれも視覚的な演出が最優先。
“頑張り枠”としての騎乗位
騎乗位はよく「見せ場」としての尺が長く取られます。
ここに込められているのは「一人でイカせる力量」ではなく、「どれだけ“がんばれるか”」という体力演出です。
つまり、性的主体性ではなく、努力とサービス精神を女優に背負わせている体位とも言えるのです。
実際には、騎乗位で快感を感じにくい女性も多いとされます。
にも関わらず、騎乗位=女優がノリノリで気持ち良くなってるというテンプレ演出が繰り返されている。
それは誰のための騎乗位か?
AVにおける騎乗位は、「女性が主導権を握ってるように**見せかけて**、実際は視聴者に奉仕している」体位として機能していると言えます。
快感のリアリティではなく、“こう見えたらエロい”という記号の集合。
その象徴が騎乗位なのです。
騎乗位を“見る”だけでなく“疑う”ために
たとえば『騎乗位の天才002 美谷朱里』では、まさに「魅せるための騎乗位」が繰り返されます。

見応えはある。でも、快感のリアルはそこにあるのでしょうか?
「騎乗位は女優が主導する体位」
そんな常識が、誰の視点から語られたものかを考えてみる。
もしかするとそれは、快感ではなく“演出”の話だったのかもしれません。