なぜAVでは“陰毛”が未だに削られ続けているのか?
AVを見ていて気づくことのひとつ。
ほとんどの女優が「無毛」または「ほぼ無毛」に整えられているという事実です。
なぜ陰毛はこんなにも“存在を消されている”のか?
毛深い=不潔? 毛がある=見せたくない?
この構造の裏には、単なるフェチを超えた“エロの思想”が潜んでいます。
“陰毛は邪魔”という価値観
よく言われるのは、「画面が見づらくなるから」という理由。
挿入シーンや愛撫の場面で毛が邪魔になるから剃る、という制作側の都合です。
でもそれは本当に“表現の都合”だけなのでしょうか?
見やすさのためなら、陰毛だけでなくシワや皺も消されるべき。でもそうはなっていない。
「毛」が持つ生々しさ、獣性、そして“未処理”という印象が、どこかで“NG”とされているのです。
AVにおける“清潔感信仰”
現在のAVに強く漂っているのは、「脱・性の野生化」です。
ツルツルの肌、無毛、ムダのない構図、整理された声。
これらが象徴するのは、“整えられたエロス”=“清潔な性”です。
その中で、陰毛は真っ先に“ノイズ”として排除される。
AVが目指しているのは、もはや「性の記録」ではなく「清潔感の演出」なのかもしれません。
毛のない身体は誰のため?
無毛がエロいという感覚は、もはやフェチの域を超えて“当たり前”になりつつあります。
しかし、それはあまりにも一方的な美意識の押し付けではないでしょうか。
“毛がある”ことは恥ずかしいこと?
“毛がない”方が商品価値がある?
そうした無言の規範が、視聴者にもすり込まれていきます。
「無毛を売りにする作品」を観察してみる
たとえば『抜き差しバッチリのパイパン限定!!つるつるマ〇コでザーメン搾り取るぬるぬる巨乳裏マットヘルス』のような作品は、まさに“毛の排除そのもの”を商品化しています。

毛のないこと=価値になる世界。そこに違和感を抱く感性もまた、エロスを考える一歩になるかもしれません。
“毛”の存在をもう一度肯定する
私たちは陰毛という、もともと誰もが持っている身体の一部を、なぜ恥じなければならないのでしょうか?
そしてなぜ、AVはそれを“無いこと”にし続けるのでしょうか?
毛は、性のリアルと多様性を象徴する存在
その存在を意図的に消すことで、私たちは“快感の幅”まで削ってしまっているのかもしれません。
毛があっても、いい。
毛があるからこそ、感じられるものがある——そんなAVは、いつか主流になり得るでしょうか?
もしかするとそれは、快感ではなく“演出”の話だったのかもしれません。